百閒先生と私

小さい頃から友達の少ない私の、数少ない暇を潰す術と云えば、読書であった。

 

ドリトル先生やシートン動物記が物足りなくなった弱冠10歳の私はアガサ・クリスティーばかり読み、頭を使う文に疲れて今度は遠藤周作のエッセイに読みふけるなど、とにかく雑食である。

 

その習性は高校生になっても変わらず、取り敢えず家に詰まれている古い文庫本を読み潰して行くのがもはや趣味である様に思えて来た。

 

去年であったが、父親が前々から薦めていた本を何かの拍子に母親が買って来たことがあった。「阿房列車」と云うシリーズで、変わり者の筆者が只列車に乗るだけの、一種の紀行文である事は、常識程度に承知していた。こちらも暇であるから、読まない本を手元に置くのも自分に対して何か申し訳が無いような気がして、通学の車中を利用して読み始めた。

 

その末がこの有様だ。

 

先生の理屈っぽい、役所仕事のような小難しい日本語が、どこかリズミカルに心地良く続くあの文章に、やたら我が儘を言って聞かないあの語り口に、中身が有るのか分からない、山系君との会話に、私は初めて「この作家が好きだ」と云う感情が芽生えた。

 

何故かは知らないが、どうも自分には先生のあの文章が最も馴染み良い様で、又読み進める事で今では殆ど用いられない語彙に触れる事が出来るのも、どこか自分に益をもたらすだろうと考えられた。

 

今や本棚は「阿房列車」を始め、「ノラや」「百鬼園随筆」、「実録阿房列車先生」までが並んだが、それでも残念ながら棚上に立たない、戦前に書かれた小説の類は、或いは絶版と成って久しいのかも知れない。心の片隅で国語辞典として「言海」を手に入れたいと企んでみたり、先生を追いかけ乍ら、気が付けば日本語の語彙の起源や用法の変化を知りたいと云う思いが沸々と、終いには文学部を第一志望に据えているし、それは今でも変わらない。

 

先生は私の旅行の先生であり、又国語の先生でもあった。