市街線世界・戦後東京前史

 

 

1945年8月15日、日本は信じるべきものを失った。生き延びた者は生き延びねばならない。今日からは本当に自分の為、家族の為に。全てがリセットされた東京で、それでも電車は動いていた。

 

連合国からなる極東委員会は受諾されたポツダム宣言の執行と、「大日本帝国」の占領管理の為、連合国軍最高司令官総司令部が設けられた。総司令官にはD.マッカーサー元帥が就任し、8月30日、厚木飛行場の地を踏む。10人ほどの新聞記者に言葉少なに語って曰く、

 

「長い長い道のりだった。しかしそれも全てが終わった。」

 

その通り、戦争は終わった。”マ元帥”が第一生命館を司令部としようが、天皇と会見しようが、生きなければならない人々は目の前の現実が全てだった。荒廃したこの地の上を頼りなげに走る電車が、どれだけ心強かっただろう。ガラスも無く、座席も満足に無い乍ら、何とか動く車両をかき集めたのだ。ある者は食べるもの欲しさに駅を目指し、又ある者は家族を失って駅に住み着いた。

 

戦争は全てが終わったが、「戦後」という時間は始まっている。人々の営みを蘇らせるべく…