ラッセンに見る現代美術概評

この文章はあくまで個人の意見であるので悪しからず。

 

 

 

 

 

 

 

この前の朝、電車に乗ったら、ラッセンの広告が目に入った。

 

 

原画展と云って、何箇所かを巡って「原画」を売る。一度限りでは無く、何度も日本各地を巡業し、更に云えば、それを2、30年続けている。

 

 

「誰?」と云う人も居るだろうが、その名を調べてみれば直ぐに判ってくれるはずだろう。私にとってのラッセンの第一印象は「アピタのおもちゃ売り場の上の方の棚で色焼けしたまま飾られているジグソーパズル」のイラストだった。世間ではバブル期の頃部屋に飾ったり、後述する胡散臭い画商のキャッチに捕まって高値で売りつけられるトラブルでも有名で、今も目にする機会は多い。彼はハワイの人間で、特に日本人に受けている。向こうにとってもその分上客であるから、相当の親日家だと聞く。

 

 

何だろう、個人的な意見である事を強調しておくが、私はあの絵柄は苦手だった。キラキラした世界とクジラ、幻想的な世界観は特に唯一無二であるし、自分には勿論描けない。

 

 

世の中を見回すとラッセンを苦手とする人は一定数居て、私が思うに、それらは後天的であることが多い。

 

 

彼の持つ技術は高いし、ましてそうでなければこれ程の知名度は得られないだろうし、私だってあのイラストを見れば「おお、綺麗だな」とは思う。

 

 

一つの作品に対し「綺麗だな」「いいな」と思うのは、人間が対象物に抱く感情の中で最も単純で本質的なものの一つで、先ず人はその一枚のイラストの世界観に対して、良し悪しを判断する。

 

 

次いで、そのほかの作品が気になり出して、又作者に就て知ろうと思ってしまう。これが現代芸術に於ける「文脈」であり、これについては後で詳しく説明する。ああ、長くなりそう。…

 

 

ラッセンは若くしてその独自の技法を確立し、日本でのブームの通り、名声と富を得た。ここで重要なのは、彼の作品は版画やリトグラフとして、個々人が「作品」を手に入れられてしまうことだろう。一般的なアートでは「作品」はただ一つであり、我々は美術館なり画廊なりでそれを鑑賞しに行く必要がある。それらのポストカードやカレンダーを家で飾ることもあるけれど、「作品」は遠い存在だ。

 

 

当たり前っちゃ当たり前だが、「作品」が手に入ってしまう事が商業主義的だとして批判された。彼本人も好きなモノとして「立派な家やブランド物、高級車」など俗っぽいものを挙げて、批判に拍車を掛けてしまったのもある。

 

 

更に、批判の中には「彼の作品はどれも同じだ」と云う様なものもあった。様々な作品を見ると、共通するテーマとして

 

・空

・海

・イルカ

 

なんかが挙げられよう。

 

 

共通の世界観、作風というものはあらゆる創作者に見られるが、彼の場合は似ている、とまで言われてしまう。確かに似た様な構図やモチーフの作品も見受けられるし、これは批判材料の一つにはなり得る。

 

 

数年前に、ラッセンを「ヤンキー文化の象徴」と云ってバッサリ切り捨てる様な本が出版されて少し話題になった。掻い摘んで云えば、ラッセンの「伝統や具体的影響の否認であり、みずからの経験と感性のみに基づいて描く、という態度」がヤンキー(稿上では必ずしも不良そのものを指さず、地方に住み独自のカルチャーを形成する若者を指す)の思考に共鳴した、そうである。「デコトラの浮世絵」や「ダッシュボードのフサフサ」と並べて彼の作品を批判するその文章は、何となく判るけれど、どうも腑に落ちない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がどうにも腑に落ちないのは、ラッセンを現代美術的な物差しで測っている様に思えるからだ。

 

 

現代美術批評に於いて最も重要視されるのは「文脈」という言葉である。ここから話がややこしくなるんだが、現代美術が日本人にとってとっつきづらい存在にさせる最大の存在が、まさに文脈だと思う。

 

 

何故かと云うと、事の発端は明治に遡る。欧化政策に奔走する日本政府は各国の美術学校に留学生を送り込んだ。当時、ヨーロッパでは印象派絵画が盛んで、宗教的な第三者の目線から描かれたバロック絵画などから脱却し、自分の目、即ち創作者の感覚をそのままキャンバスに投影するのが良しとされた。それを持ち帰った日本人が始めた芸術教育は今日まで、「アートとは本人の感性によって見たものを表現するもの」のだとされてしまった。

 

それは結局、美術鑑賞の解の一つに過ぎない。

 

 

そしたらピカソの目には何が見えていたんだ、となるだろう。表題に対して抽象的な筆致の近代・現代アートの作者はみんな錯乱しているのかも知れない。現代美術では、時に普遍的なテーマに対して、「それをどう表現するか」に重きが置かれた。

 

 

ここで漸く意味を成すのが「文脈」だ。

 

 

 

『先述の通り、印象派は従来の技法から脱却し、影ではなく、光を描くようになった。

 

これによって、今後必ずしも現実を忠実に描く必要はなくなった。』

 

 

 

この二つの様に、作品のアイデンティティや形式を確立させる、作品の前後の時間の流れを文脈と云う。本来、西洋美術は文脈無しには判り得ない存在だった。ラファエロの宗教画はキリスト教の知識が、フェルメールやレンブラントの描いた絵にも世界史の知識が無ければ絵に描かれている事を読み取る事は出来ない。観者の持つ教養によって、作品のバックボーンを考える事が西洋美術鑑賞の醍醐味だと、ずっと考えられてきた。然し我々日本人は文脈の存在を知らない。知らないけれど、大抵の西洋美術の作品は何百年間を経てそして今日も、文脈上の一つの点として存在する。例を挙げると、ここ100年間の近代・現代美術には根底に構造主義の思想や哲学が流れている事が多い。それを知った上で鑑賞し、批評されてきた。結局のところ印象派とそれ以前のムーブメントは、「何を描くか」が重視され、それ以降近現代では「どのように描くか」が重視された、と云って良いだろう。それを知る事も、文脈を理解する事の一つだ。

 

 

ここが西洋美術の難しいところだが、作品の価値は、時に作品自体よりその文脈が占める割合の方が大きい時もある。ピカソの作品が評価されるのは、その絵一枚一枚が持つ凄さよりも、他には無いキュビズムという表現技法を切り開き、此処に確立した事にある。その絵は凡人にはとても理解出来ないが、印象派を超える強烈でセンセーショナルな筆致に特別な価値があり、それを超える技法が無い限り、キュビズムやピカソこそが現代美術のトップランナーだったのだ。

 

 

つまり西洋美術批評は、個々人の作品に対する印象では無く、美術史上に及ぼした影響、謂わば文脈によって判断される所が大きいのだ。今日のキュビズムなどは廃れてしまったに等しい技法で、そこに最早は価値は見出せない。それもまた、西洋美術が美術史上の前後によって判断される、即ち文脈によって判断されている証左であろう。既存の形式を超える様な作品を求める余り、現代美術の表現の場は絵画に拘らなくなった。ぱっと見得体の知れないオブジェをアートだと言われて面食らうのも、それが原因である。

 

 

話が横道に逸れたが、これこそ正にラッセンが現代美術の一つとして評価されないキモだと思う。彼は専門的に美術を学んでいないから、それが独自の技法を生み出した反面、美術史上から外れた場所に存在する羽目になった。皮肉な事に、文脈上としての西洋美術を知らない日本人にとっては、文脈を無い物として鑑賞し、また商業主義的な版画やリトグラフが容易に手に入ることから、かえって受け入れられるようになったが、一部の愛好者はラッセンと、そのファンを忌み嫌っているままだ。それも個人の好みで無く、あたかも画壇の代表として否定する事が多い。その言い分も判らなくも無いが、描く方も買う方も文脈を求めないジャンルが、文脈を求める現代美術として批判されるべきか否か、そこはもっと考えられるべきだろう。

 

 

ビジネスとしてのラッセンの作品や、その作風については私も好きでは無いけれど、文脈の存在しない限り、一般の西洋の(第二次世界大戦後の現代美術は主にニューヨークを市場とした。ニューヨークで良いと言われれば流行り悪いと言われれば見向きもされないのもある意味では商業主義的である)現代美術としてそれを批判するのは難しい。その文脈上で判断出来ない日本人の創作者は多数存在しており、彼ら彼女も又本来関係が無いはずの文脈を軸に批判されている。強いて云うならば、日本美術として独自の文脈が生まれたのだ。我々日本人は今日の芸術批評に於いて、嗜好を多分に含んだ個人的視点からの批評と、文脈を重視したある意味で客観的な西洋美術としての批評の矛盾に気付かず、歪な現代美術へのイメージを作り上げてしまった。ラッセン批判を契機に、日本人としての文脈の存在を発見する事に繋がればと思う。